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2017/05/23

時効がなくなるからくり

ニュースで気になる記事があったので、ちょっと調べてみた。

渋谷・警官殺害 指名手配の「中核派」大坂容疑者逮捕か
(毎日新聞)

捜査関係者によると、大坂容疑者は71年11月、沖縄返還協定の批准阻止を訴える中核派系全学連活動家らとともに東京都渋谷区で機動隊を襲撃。(中略)この事件では共謀した6人が逮捕されたが、うち1人の公判が病気を理由に81年に停止され、2010年の刑事訴訟法改正で殺人の時効が撤廃されたため、時効は成立していない。

これを読んで「はて?なんで時効にならないの?」と思った。

法改正される前の時効は、一番長い「死刑に当たる罪」でも25年。
この場合の時効は、公訴時効と言い、犯罪が終わった時から一定期間を過ぎると公訴が提起できなくなること。(ウィキペディアより)

また、法改正では「この法律の施行の際既にその公訴の時効が完成している罪については、適用しない。」とされている。時間を遡って刑罰が適応されることは、通常あり得ない。(太平洋戦争の東京裁判を除く)

つまり、時系列では以下のようになる。

1971年 事件発生
1996年 時効成立
2010年 法改正

時効が成立しているじゃん!
と思ってしまった。
ところが、ここにからくりがある。

「共謀した6人が逮捕されたが、うち1人の公判が病気を理由に81年に停止され・・」
記事ではさらっと書かれているこの一文。実はこれが肝なのだ。

公訴時効は「公訴の提起によつてその進行を停止し、管轄違又は公訴棄却の裁判が確定した時からその進行を始める。 」とある。つまり公訴中は時効が「一時停止」されているわけだ。
この共犯者の場合、病気療養中のため、時効がずっと停まったままになっていた。

そのうちに2010年の法改正になり、殺人の時効が撤廃された。
この時点では時効がまだ成立していなかったので、新法が適応され、時効が消滅した。
さらに刑事訴訟法・第254条2項では「共犯の一人に対してなされた時効停止の効果は他の共犯にも及ぶ」としている。

このため、共犯者に引きずられる形で、今回の容疑者も時効でなくなったというわけだ。
ああ、わかりにくい。

ただ、個人的には腑に落ちない点もある。
「共犯者であるかどうか」は裁判で刑が確定しない限りは断定できないはず。
それなのに、共犯であることを前提にして、時効を無効にするのは、果たして合法なのだろうか?
こうなると、法律の専門家じゃないとわからない領域だわな。

活動家の暴力行為を擁護するつもりはない。
でも、ネットで散見される過激な意見を眺めていると、感情にまかせて法を軽視するのは危険な兆候だぞ、と言いたくなる。

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2017/05/21

風不死岳(1102.5m)登山

5月も下旬になり、本格的にアウトドアシーズンが始まろうとしている。
例年だったら、この時期は八剣山や定山渓の低山で足慣らしを始める頃だ。でも、今年は一足飛びにレベルを上げて、さらに上を目指そうと思う。
そんなわけで、風不死岳。前日は支笏湖湖畔のモラップキャンプ場で泊まり、翌日の早朝からアタックする。

20170521_001ところが5合目まで行ってみると、ゲートが閉じている。5月中は「冬期」のため閉鎖だそうだ。
えーっと、まだ冬なんでしたっけ?雪も全然積もっていないのにな。
しょうがないので、5合目で車を駐めて、7合目のヒュッテまで歩く羽目に。これが予想以上に遠く、1時間もかかった。これじゃあ、前泊までした意味がなかったかな。
なんだかんだで登る前から疲れてしまった。「いっそ樽前山に鞍替えしようかな」と日和った考えが頭をよぎったが、時刻はまだ7時。樽前山では時間を持て余しそうだ。ここは初志貫徹するしかない。

20170521_002風不死岳は水平方向に移動する距離が長く、樽前山と標高はそんなに変わらないのに、コースタイムは3倍以上。樽前山はコストパフォーマンスの特別高い山だけど、風不死岳はかなり低いと言える。
それでも、砂礫ばかりの殺風景な登山道が続く樽前山と違って、風不死岳の登山道は実にバリエーション豊か。谷間あり、尾根あり、平原あり、灌木あり、笹藪あり、岩場あり。さながら登山道の見本市のようだ。樽前山ほど人気はなくても、俺はけっこう好きだったりする。
途中、まだ溶けきらずに残っていた雪渓や、鎖をロープ代わりにして這い上がらなくてはならない岩場もあり、本格的な登山っぽい体験も楽しめた。

20170521_003この時期なら、高山植物も一杯だろうと思っていたけど、意外にこちらは少なかった。フキノトウ、スミレ、エンレイソウ、など。一ヶ月前に見たような花々ばかりだった。ちょっと時期が早すぎたのか?
日差しは強かったが、心地よい風がほどよく吹いて、耐えられないほどの暑さではなかった。ただ、十分な量の水を持ってきていなかったので、食事に使う分を残しておかなくてはならず、節約しなければならなかった。登山口に自動販売機が置いてあるようなところじゃないからなあ。

20170521_004さんざん苦労して山頂にたどり着いたら、素晴らしい景色に疲れも吹っ飛んだ(と、そのときは思った)。
天気が良すぎたためか、少々ガスがかって遠くの方はかすんで見えたけど、360度壮大な景色に囲まれた。やっぱ、いいわー、風不死岳。

往きはよいよい、帰りは怖い。それからが本当にしんどかった。
無駄に長い帰り道は足をすっかり棒に変えてしまった。おぼつかない足取りで軽石ばかりの道を歩くものだから、すぐに足を滑らせる。
「家に着くまでが遠足です」自分に言い聞かせながら、なんとか気力を振り絞って歩いた。
やっぱり5合目スタートはきつかったわ。。。

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2017/05/13

大学で春を学ぶ

20170513_001北海道大学で山野草展をやっているらしい?そんなポスターを見かけたので、週末に行ってみることにした。
北大は道庁のそばに植物園を持っているのだけど、学内にも薬草専門の小さな植物園がある。
ところが、植物園に行ってみると、何もやっている気配がない。隅の方でBBQの準備をしている学生たちがいるぐらいだ。職員らしい人に尋ねてみたところ、なにも心当たりがないと言う。6月の半ばにそれっぽい野草展をする予定ですけど、今はまだ何も咲いていないですからねぇ、と。
日にちを一ヶ月間違えた?んー、でもポスターには春の野草と書かれていたような・・・?別の植物園と勘違いしているのかも。真偽はわからずじまい。

20170513_002ともかく、園内の見学はご自由にどうぞ、と言われたので、畑を見て回る。
畑の一角に「大黄」という薬用植物がたくさん植えられていた。漢方薬で便秘薬として使われるという。説明を読んでみたら、お菓子やジャムなどで使われているルバーブとかいう植物は、この大黄を食用に改良したものだそうだ。そういや、ルバーブを食べ過ぎるとおなかが緩くなるって、注意書きに書かれていたっけ。もともと薬用なのだったら、納得だな。
今まで根元のフキみたいな部分しか見たことがなかったので、こんなレタスみたいな感じで育つなんて知らなかった。収穫される前で良かった。

20170513_003その後は学内を散歩した。北海道大学はめちゃくちゃ敷地が広く、下手な公園よりよっぽど自然が豊かだ。
小川の横を歩いていたら、オシドリの雄鳥を発見した。人間慣れしているのか、ほとんど警戒する様子がない。通りがかって足を止めるのは、俺みたいな学外の人間ばかりで、学生たちはほぼ素通りだ。
恵まれた環境だなぁ。こういうところで学生生活を送っていたら、自然の魅力にとりつかれるのも、もっと早かったかもしれないな。

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2017/05/05

東北の復興を見届ける旅 その5 海猫が鳴くから帰りましょう

前日は沿岸から離れて、内陸部の北上市に泊まった。
今日の日程は八戸に戻ること以外、何も決めていない。高速道路を使えば二時間ちょいで着いてしまうので、どこか寄り道をしていこう。

地図を眺めて適当に選んだのは「宮沢賢治童話村」。岩手は至る所に宮沢賢治由来の施設がある。
とりあえず行ってみると、観光客でごった返していた。そういや、GWの真っ最中だったっけ。
宮沢賢治は人気があるからなあ。でも、いくら有名でも、これだけ混雑しているのは宮沢賢治のイメージに合わない気がする。もっとひっそりと楽しむのがいいのに。
20170505_001周辺施設二つに入場出来るチケットを買ったのに、あまりの人の多さに疲れてしまった。本当は宮沢賢治記念館も見たかったのだけど、もうひとつは花巻博物館にした。ちょうど花巻人形の企画展をやっていた。花巻人形とは土人形で、粘土を焼いたものに彩色を施したものらしい。
予想通り、こちらには人がほとんどいない。そのぶん、落ち着いて展示を観ることができた。

20170505_002その後、しばらく一般道を北上して、途中から高速道路に入り、八戸へ向かった。
夕方に到着して、まだフェリーの出航には時間があるので、ウミネコの繁殖地で有名な蕪島へ行った。
ところが、蕪島神社は修理中につき、立ち入り禁止になっていた。お祭りの関係で特別に公開中だとTVのニュースでは言っていたのに、16時までしか入れなかったみたい。

20170505_003とりあえず綺麗な夕日だけは堪能した。
さらば東北、また会う日まで。

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2017/05/04

東北の復興を見届ける旅 その4 七万本の松も一本から

今回の旅も大詰め。今日は陸前高田でボランティアだ。
復興ボランティアと言っても、瓦礫の片付けなどの作業はいまはもうやっていない。草刈りや農業・漁業の手伝いなど、なんでも屋のような作業が多くなっている。作業の内容は毎日変わるので、実際に現地に行ってみないと何をするのかわからない。

20170504_001今日の作業は植林の補助作業だった。津波により失われた高田松原の再生プロジェクトの一環だそうだ。
かつて七万本もあった松は「奇跡の一本松」以外は全滅。それを元に戻すため、植林を行っているのだ。ボランティアの作業は松の苗を強風から守るための柵作りだ。竹を細く割ったものを紐で繋いですだれ状にし、高さ60cmぐらいの柵を作る。
竹を割って鉈で形を整える班と、それを紐で編む班に別れ、俺は編む班に入った。力仕事ではないものの、手先の器用さが求められる。最初は悪戦苦闘したが、半日もやれば慣れてしまい、さくさくと作れるようになった。
20170504_002全部で七万個の柵が必要で、これまで三年がかりで一万個を作ったそうだ。市から提供された三万個を合わせて四万個。そうとう根気がいるプロジェクトだ。
新しい松原は、第一堤防と第二堤防の間に作るのだという。景観よりも防災を優先させたってことなのかな。それとも、高台からだったら少しは見られるのだろうか?

20170504_0033時に作業は終了したので、最後に陸前高田の町を見て回った。嵩上げした高台では、新しくショッピングモールが完成し、多くの地元民で賑わっていた。隣の広場では小さな子供たちが歓声をあげていた。その多くが震災後に生まれた子供たちだ。彼らたちは、防潮堤も高台もごく当たり前のものとして受け入れて、この先、生きていくのだろう。

三陸の旅はここで終わり。明日は内陸を北上して帰路につく。
どこか寄り道して行こうかな。

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2017/05/03

東北の復興を見届ける旅 その3 一本松よりすごい奇跡

20170503_001今日は朝からとっても天気がいい。
まずは釜石大観音を観に行った。青空に純白の観音様が映えていた。ここを訪れたのは二回目だけど、もともと震災の影響が小さかったところなので、以前とあまり変わっていなかった。
せっかくいい天気なのに、屋内の施設で過ごすのはもったいないので、「鉄の歴史館」は今回パスすることにした。

大船渡市に入ると、巨大な港湾施設や工場が姿を見せ始めた。今までの町とはずいぶん印象が違うのは、街の中心部が若干内陸にあったおかげだろう。(珍しく)ちゃんと震災後も残っている市街で昼食を取った。

20170503_002その後は再び沿岸の碁石海岸へ行き、観光船に乗ることにした。
さすが漁業の町、観光船と言いながら昆布漁の漁船を転用したものだ。器用に狭い岩の間をすり抜けて進む。
ハイライトは穴通磯と呼ばれる洞門の間をくぐり抜ける荒業。小さな漁船でも幅ギリギリ。波の穏やかな日しかやらないと言うから、運が良かったみたいだ。

20170503_003最後は陸前高田の有名な震災遺構、「奇跡の一本松」だ。
陸前高田は、訪れる度に全く違う姿を見せる、変化の著しい町だ。以前、土砂を運んでいた巨大なベルトコンベアーや運搬用の橋は、跡形もなく消えていた。それに代わったのは膨大な盛り土だ。陸前高田は地域全体を盛り土によって嵩上げし、そこに街を再建することにしたのだ。
数年ぶりに一本松を見て、思わず絶句した。松の向こうには、なんと防潮堤が出来ていた。とうとう一本松も「壁の中」になってしまった。感傷とかをいっぺんに打ち砕かれた気分だった。
はっきり言って、これは絵にならない。海を背景にしなければ、遺構としての魅力も半減だろう。こんなに有名にしておきながら、それはないんじゃないの。押し寄せる観光客たちはこれを見て満足するのか?

20170503_004声を大にして言いたい。松なんか見てる場合じゃないぞ。
むしろあの古墳のように巨大な盛り土を見ろ。自然の脅威よりも暴力的な人類の力強さを。
津波によって地形が変わってしまっただけでは終わらなかった。いままさに人の手でさらに地形が変わりつつある。

陸前高田は一体どこに向かっているんだろう。

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2017/05/02

東北の復興を見届ける旅 その2 壁の中と塔の上

朝、宮古を出発して再び南下する。
海沿いはどこでも防潮堤の拡張工事をしている。たまに堤防の切れ目から海が覗けるものの、いずれ完成したら海は全く見えなくなってしまうだろう。
20170502_001常に壁の中にいるような窮屈さを感じる。せっかくあの大震災を生き延びたのに、残りの人生をこの壁の中で生きなければならないのか。それは故郷を守っていると言えるのか。
そりゃあ、「死にたくないでしょ?」と訊かれれば「はい」と答えざるを得ないし、端から選択肢なんて与えられていないのかもしれないけど。
海岸線を遠くから眺めると、防潮堤の白い線がずっと続いている。まるで要塞の城壁だ。

20170502_002今日初めに訪れたのは、宮古市の姉吉。ここは本州最東端であり、東日本大震災で津波遡上高が40.5mに達して、日本の観測史上最高を記録した場所でもある。ところが、この集落ではかつての津波の教訓から海岸には住居を建てないという戒めを守り続けてきたので、人的被害を一人も出さなかった。今でも防潮堤は造られておらず、美しい海が広がっていた。
もちろん小さな集落だからこそ、そんなことが可能だったわけだし、ある意味、町の発展をあきらめているのかもしれない。
正解などないのかもしれないが、俺としてはこちらのほうが海を好きでいられる気がする。

20170502_003午後からは釜石に移動して、橋野高炉跡を見に行った。ここは世界文化遺産に登録されたばかりだそうだ。でも、自然遺産はともかく、文化遺産はなあ。正直、微妙なのが多すぎる。日本人もろくに知らないのに世界遺産にするなよ、と。
悪い予想は当たっていた。GW中なのに駐車場にはわずか3台のみ。草地に石がごろごろしているだけで、ちっとも面白くない。
それでも良かったのは、なんと史跡内をタヌキがうろついていたこと。
人はいないが、タヌキがいるぞ!

もう一つ行きたかった「鉄の歴史館」はあいにく休館日だったので、明日にしよう。

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2017/05/01

東北の復興を見届ける旅 その1 マイナスをプラスに

早朝、八戸港にフェリーは着いた。
今日から東北の旅を開始する。

八戸から海岸沿いに南下して、最終的な目的地は陸前高田の予定だ。
途中、いろいろ寄り道したいところはあったんだけど、なにしろ時間が早過ぎて、ほとんどの観光施設はまだ開いていない。しょうがないので、素直に国道を南下する。
20170501_001最初に訪れたのは、宮古市の田老地区だ。ここは国内でも最大規模の立派な防潮堤があったにも関わらず、結局、津波を防ぐことは出来なかった。町は壊滅的被害を受け、多くの人が亡くなった。
そのなかに、2階まで破壊されながらなんとか流されずに残った「たろう観光ホテル」がある。ここはいまや数少ない震災遺構の一つとなっている。実際の建物を見ると、津波の破壊力の凄まじさに身震いがした。
役立たずだった防潮堤をさぞかし恨めしく思っているだろうと俺は勝手に想像していた。しかし、説明をしてくれた震災ガイドさんの言葉は違い、「それでも私達は堤防を造る」と言う。堤防では完全には津波を防げないかもしれないが、堤防があったおかげで、海にさらわれた人数が少なかったのだという。堤防は逃げる時間を少しでも稼ぐのと、遺体を確保するために必要だと。
未だに遺体を探し続けている人々がいる。そのやりきれない想いもわかる。でも、莫大な費用を注ぎ込み、未来の世代に借金を作ってまで造り上げた防潮堤が、ただ遺体を流されないためだなんて。悲しすぎるよ。
20170501_002さらに南下して、浄土ヶ浜へ。ここは有名な景勝地だ。震災遺構ばかりじゃ気が滅入っちゃうし。
夏には海水浴場として使われるとは信じられないぐらい、海が綺麗だった。ああ、こんな海で泳ぎたいよう。
残念なことに次第に空が曇って来た。どこか寂しい感じに見えてしまい、遊覧船に載る予定だったのに躊躇してしまった。どうせ乗るなら、青空の下で乗りたいし。
20170501_003そこで予定を変更して、浄土ヶ浜の遊歩道をハイキング。ちょっとした丘の頂上には10品種以上の桜が植えられていて、まるで見本林のよう。北海道に帰ったころには、桜も見頃を過ぎてしまっているかもしれないので、ここで桜を満喫しておこう。
桜と言えば、津波の到達点に沿って桜を植えるというプロジェクトがあるそうだ。防災のためでもあり、震災の風化防止のためでもあるという。でもそれって桜に別の意味を持たせてしまうってことだよな。桜を見る度に震災を思い出す、それってとっても残酷なことじゃないだろうか。
マイナスからプラスを生み出すには、強いこころの力が必要で、それは誰にでも出来ることではないのだから。

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