朝から激しい雨だった。
ホテルを早々に出発して、気仙沼のボランティアセンターに向かった。
この雨じゃあ、今日の活動は中止かもしれない。
それでも、集合時間になると続々と人が集まってくるので、「あれ?ひょっとしてやるつもりかな?」と思い直したり。
今日は近くの海水浴場で、浜の清掃活動をする予定だったのだけど、雨も強いし波も高いし、と言うことで、やっぱり中止になってしまった。
その代わり、午前中はボランティア団体の代表と気仙沼の市議会議員が、震災当時の様子を話してくれることになった。
そこでの話はなかなかマスコミには流れにくい類のものだった。
例えば、震災直後、ホームセンターのコメリには、毎晩のように夜盗がやってきていたそうだ。そこで、コメリの店長は「このまま盗まれるぐらいなら、町のために使って欲しい」と残った家具を避難所に無償提供したとか。
他にも「支援物資は老人や子供を優先で」と呼びかけているのに、外国人留学生たちが我先に奪っていったとか。しかも、みんな日本語がわかるくせに、そういうときに限ってわからないふりをしやがるとか。
譲り合いだとか絆だとか、綺麗事だけで済むはずがないのはわかりきっているのに、やはりちょっと悲しい。
午後からは「写真洗浄」の手伝いをさせてもらった。
作業内容を簡単に書こう。
まず、津波に飲まれてぼろぼろになったアルバムから写真をはがす。
それから、その写真を水で洗ってよく乾燥させる。
あとはそれを一枚一枚スキャナで読み込んで電子化する。
わざわざ電子化するのは、複数の人が同時にPCで閲覧や検索をできるようにするためだ。もちろん、写真の劣化が進んでいるせいもあるだろう。やってることは単純だけど、おそろしく手間暇がかかる仕事だ。
俺が受け持ったアルバムは一冊丸ごと「結婚式」の写真だった。
一生の晴れ舞台を写した写真たちは、どれも濡れ汚れてしまっていた。写真のインクが溶け出して判別できなくなっているものが半分近くもある。
幸せそうに笑っている新婚の夫婦や参列者たち。彼らは震災を生き残れたのだろうか。
気仙沼市の死者&行方不明者は1400人以上。写真に写っている誰かが亡くなっていても不思議ではない。
それでも、その安否を知らないままなのは、俺にとっては救いだった。写真を待ち望んでいる人がいる、喜んでくれる人がいる。そう思わなきゃ、こんな作業、悲しすぎるじゃないか。
この日の作業場所は、小学校の旧校舎だったのだけど、作業中にも多くの人が訪れ写真を見に来ていた。そこには写真だけでなく、寄せ書きの色紙や賞状、記念品や絵画など、思い出の品が所狭しと納められていた。
震災から一年以上経っているのに、いまだに思い出を発掘し続ける人、思い出を探し求め続ける人、その「日常」が続いていることが衝撃だった。
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