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2012/05/20

ダイビング日和

20120520_001積丹へダイビングに行ってきた。wave
残業続きで疲れていたけど、夏が始まればもっと忙しくなるんだ。へばっている暇などない。今のうちに行っておかなくちゃ。

空は快晴だし、海はべた凪だし、絶好のダイビング日和。shine
先月潜ったときは、水は冷たいわ、透明度は悪いわ、で散々だったからなぁ。

20120520_002水温は若干は高くなったものの、まだ8~9℃ぐらい。透明度は10m前後でだいぶ回復してきていた。魚も少しずつだけど増えてきた。メバルやアイナメ、リュウグウハゼやカレイなど、積丹のいつもの面々が顔を見せ始めた。

海草の中をうろうろしていたら、小指の先ぐらいのイカを発見!search
だけどすばしっこくて、カメラで捉えることができない。岩陰に太いところてんのようなイカの卵があったから、これから次々と孵化してくるんだろう。

20120520_003今日見つけた生き物たち

ガーベラミノウミウシ(1枚目)
サクラミノウミウシ
カドリナ・ルテオマルギナータ(2枚目)
フラベリーナ・ベルルコサ
チシオウミウシ
ハナヤギウミウシ
アメフラシ
エゾメバル
キツネメバル(幼魚)
アイナメ
リュウグウハゼ
クロガシラガレイ(3枚目)
スナガレイ
ヤリイカ
ミズダコ

うーん、夏の海が待ち遠しい!

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2012/05/05

被災地の鯉のぼり

20120505_004
女川を後にして、仙台に向かって移動を開始した。

途中、石巻に通りかかった。
石巻観光の目玉だった石ノ森萬画館も、震災の影響で休館中だし、石巻はそのまま通過する予定だった。

ところが、海岸沿いの道を走っていたときに、はっとする光景に出会った。
それは青空に大きくたなびく鯉のぼり達。そう言えば、今日はこどもの日、端午の節句じゃないか。

海岸まで1~2キロほどはあるだろうか。
そこまで視界クリアで見渡せるのは、ここもまた、津波によって瓦礫の平原になってしまったからだ。石巻も震災で甚大な被害を受けた町のひとつなのだ。

何も遮るものがないので、吹き抜ける風は強く、鯉のぼり達は悠々とその身体を踊らせていた。その奇妙なまでに爽やかな景色が、ほんのひととき、現実を忘れさせてくれた。

道の脇には小さなテントが立ち、物産展のようなものをやっていた。わずかながらも生き残った商店が集まって、ほそぼそと販売をしているらしい。
そこでは数人の女子高校生がせっせと働いていたのだけど、聞けば東京からボランティアのために来たのだという。
えらいなあ。俺が高校生の時なんて、自分以外のことを考える余裕は全然なかったぞ。ましてやGWを使って、わざわざ遠方でボランティアするなんて考えもしなかっただろう。

多くのものが失われた震災だけど、それと同時に生まれたものもあるはずだと思いたい。献花台の前で手を合わせて願った。
いつかはここも蘇りますように。

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もう一つの原発

東北の旅もいよいよ最終日。
今日は、女川町からスタートだ。

女川と言えば、やはり女川原発が頭に浮かぶ。そう、福島原発よりもずっと震源に近いにも関わらず、「無事だった方」の原子力発電所だ。
震度はむしろ女川の方が大きかったそうだから、福島があんなことになったのはきっと構造上の欠陥が大きかったんだろう。

20120505_001無事だったと言っても、被害がなかったわけではない。女川の町はやはりぐちゃぐちゃに破壊されていた。海岸にぽつり建っている海難事故の慰霊碑が、津波によってさらに崩れてしまっているのが痛々しい。
それでも他の町と比べると被害が少ないのは、すぐ近くに十分な高さの高台があったことが幸いしたのだろう。

20120505_002女川は牡鹿半島の付け根にあり、牡鹿半島からは有名な景勝地の金華山という島に船で渡ることができる、とガイドブックにはあったのだが・・・
観光船は案の定、運休中。半島をぐるっと巡る道も、進むにつれて道路のアスファルトの亀裂が次第に増えてきて、最後は通行止めに。

20120505_003展望台からは現在停止中の女川原発の鉄塔が眺めることができた。
女川原発もメルトダウンを起こしていたら、もちろんここだって永久に立ち入れない場所になっていたことだろう。金華山は奥州三大霊場のうちのひとつだというから、ここだけは不思議な力で守られたのかもしれない。

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2012/05/04

不謹慎なぐらいドラマチック

20120504_005ボランティア作業を終えて、再び南三陸の街を見て回った。

津波に耐えてなんとか残った建物もわずかながらにはあるが、ほとんどは流されてしまったものばかり。当時の動画などを見ると、デパートのまるまる三階分が水に浸かったそうなので、普通の民家じゃまず無理だろう。

留学生なのか、それとも、海外旅行者なのか、外国人のグループが写真を撮っているのを見た。そりゃあ、世界中どこへ行ってもこれだけの惨状はないからな。

20120504_007新しく買ったデジカメには「アートフィルタ」という撮影モードがあり、その中のひとつに「ドラマチックトーン」というのがある。この廃墟の街をそのフィルタで撮影すると、戦慄するぐらいおどろおどろしい写真になる。

全体的な彩度を落とした上で、一部だけ鮮やかな色使いになるらしく、曇り空は悪夢のようだし、道ばたに生えている草さえもはっとするぐらい鮮明になる。
これを「美しい」と言っちゃうと不謹慎だと言われるんだろうけど、とにかく心に残る写真たち。いっぱい撮って帰ろうと思う。

20120504_008南三陸町を後にして、さらに南下。
今晩は温泉施設が併設されている「道の駅」で車中泊しようと思っていたのだけど、駐車場はすでに満杯。そう言えばGWだし、みんな考えることは一緒だと言うことか。仕方がないのでひとつ前の「道の駅」に引き返した。
無駄足にはなったけど、そのぶん静かに夜を過ごせそうだ。

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悲劇の跡にも、桜は咲く

20120504_004

しばらく走ってたどり着いたのは、高台の上にある養護福祉施設だった。

ここからは、南三陸町の街を見下ろすことができる。
破壊され尽くした町並みのさらに奥には海が広がっていた。3.11のとき、あそこから波がやってきたのだ。

高台の上とは言いながら、実はこの場所も無事ではなかった。あの津波から逃れるにはこの程度の高台では低すぎたのだ。
押し寄せた津波は高台を乗り越え、養護施設を完全に破壊してしまった。施設の裏手に回ると、壊れたベッドや車いすがうずたかく積まれたままになっていた。ここには寝たきりのご老人もたくさん入っていて、多くの犠牲者が出たそうだ。
それを聞いただけで背筋がぞくぞくと寒くなった。まさかこんなところまでやられるなんて、思いもしなかっただろう。

ここには、この地域のボランティアセンターも併設されていたらしいのだけど、それももちろん壊滅してしまった。本来なら災害支援の中心となるはずだった場所が、皮肉にも被災してしまったわけだ。

草むしりを始めてすぐにわかったが、花壇には至る所にガラスの破片が散らばっていた。うかつに素手で触るのは危険だ。この場所は今は小中学生の通学路にもなっているそうだから、そういう意味でも早く綺麗にしたかったのだろう。

休憩時間にある男性から「富山から来た○○さんじゃないですか?」と声をかけられた。ぱっと見では顔がわからなくてきょとんとしていると、名乗られてようやくわかった。
なんと、高校時代の同級生だった。GWの間、富山からボランティアに来たのだそうだ。

あっちは富山から。こっちは北海道から。まさかこんなところで再会するなんて、不思議なものだ。
こんな悲劇の場所だけれど、ちょっと胸が熱くなった。

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南三陸町ボランティアセンター

雨の音で目が覚めた。やっぱり今日も雨みたいだ。rain
パーキングエリアを出発して、南三陸町へ向かった。

ラジオでは、宮城県で大雨・洪水・波浪警報が発令されたと言っていた。川の堤防が決壊して、避難勧告が出た地域もあったようだ。また、仙台では例年の一ヶ月分に相当する雨がわずか一日で降ったとも。
こりゃ大変だ。被災地を見に来たつもりが別の災害に巻き込まれてしまっているじゃないか。くわばら、くわばら。wobbly

20120504_001南三陸町のボランティアセンターはベイサイドアリーナという体育施設に併設されていた。宮城県の中心的なボランティアセンターらしく、規模はなかなかのものだ。
雨だというのに駐車場にはびっしりと車が停まっていた。関東はもちろん、中部や関西、なかには長崎や鹿児島のナンバーまで見られた。札幌から来た俺でさえ「ずいぶん遠くに来たもんだ~♪」って思っているのに、半端じゃないぜ。
ここにはまさに日本中の力が結集していると言っていいだろう。fuji

その日に集まったボランティアはざっと100人以上はいただろうか。さすがにこれだけの人数がまとまって活動するのは厳しいので、いくつかの班に分かれて別々の地域に移動することになった。

20120504_002俺の班はある福祉施設の草むしりや清掃を行うことになった。
なんでこんなことをボランティアがするの?と思ってしまうけれど、今の時期のボランティア活動はこういう仕事がメインである。
交通のインフラはある程度回復して、重機が瓦礫をあらかた片付けてしまった跡では、個人の依頼よりも公共施設の依頼が多くなってくる。

20120504_003予算の問題なのか、人員不足の問題なのか、わからないけど、釜石市の警察署がそうだったように、公共施設は一番後回しにされてしまうみたいだ。とにかくボランティアが頑張らなくては、いつまでも片付かない問題があるってことだ。

活動現場に向かう車の長い列が、ゆっくりと動き出した。

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2012/05/03

陸の船

写真洗浄のボランティアはわずか2時間ほどで終了になり、気仙沼市内に戻った。

20120503_005最後に見ておいて欲しいと案内されたのは「陸の船」。道路脇に流れ着いた巨大な漁船である。報道写真やTVで見たことがあったが、実物を目の前にしてその大きさに圧倒された。
他にも流れ着いた船はたくさん見たが、どれもぐちゃぐちゃに壊れてしまっているのに対して、この船は大きな破損もなく一年経過した現在でも色鮮やかな船体を見せている。気仙沼市はこの船を震災のモニュメントとして保存するつもりだそうだ。

20120503_006もちろん、こんなでかい船が流れてくるぐらいなのだから、周辺の住居はすべて壊滅してしまったわけで。瓦礫が撤去された今では、がらんとした荒れ地が残るのみだ。叩きつけるように降りしきる雨が、悲惨さを上乗せして見せていた。rain

夕食は陸の船のすぐ近くの「復興マルシェ」で食べることにした。
ここは震災後、各地にできた集合仮設店舗のひとつで、飲食店や土産物屋がプレハブで作られた店舗に8つほど入っている。
気仙沼は漁業の盛んなところだから、飲食店も自然と魚関係ばかりになる。魚が苦手な俺には困った状況だけど、B級グルメのひとつ、「気仙沼ホルモン」の店があったのでそこに入った。

20120503_007特徴としては、味噌だれに漬け込んで焼くことと、たっぷりの千切りキャベツを添えること、だろうか。
雨で冷えてしまった身体には、熱々のホルモンがやけに美味しく感じられた。ただひとつ残念だったのは、車で移動しているので、ビールが飲めなかったこと。ああ、ビールが飲みてぇ。beer

雨はいよいよ激しくなり、雨の筋がはっきり目に見えるほどになった。雨が凄すぎて景色がまったく見えない。車のライトに照らされたそれは光の筋となり、まるで流星雨の中をドライブしているかのようだ。こう書くとロマンチックに聞こえるかもしれないが、運転している俺は生きた心地がしなかったshock

これ以上、運転し続けることは危険だと判断して、国道沿いのパーキングエリアで車中泊することにした。明日はもう少し雨が弱まるといいのだけど。

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思い出の発掘現場

20120503_001朝から激しい雨だった。
ホテルを早々に出発して、気仙沼のボランティアセンターに向かった。
この雨じゃあ、今日の活動は中止かもしれない。

それでも、集合時間になると続々と人が集まってくるので、「あれ?ひょっとしてやるつもりかな?」と思い直したり。
今日は近くの海水浴場で、浜の清掃活動をする予定だったのだけど、雨も強いし波も高いし、と言うことで、やっぱり中止になってしまった。down

その代わり、午前中はボランティア団体の代表と気仙沼の市議会議員が、震災当時の様子を話してくれることになった。
そこでの話はなかなかマスコミには流れにくい類のものだった。

例えば、震災直後、ホームセンターのコメリには、毎晩のように夜盗がやってきていたそうだ。そこで、コメリの店長は「このまま盗まれるぐらいなら、町のために使って欲しい」と残った家具を避難所に無償提供したとか。

他にも「支援物資は老人や子供を優先で」と呼びかけているのに、外国人留学生たちが我先に奪っていったとか。しかも、みんな日本語がわかるくせに、そういうときに限ってわからないふりをしやがるとか。annoy

譲り合いだとか絆だとか、綺麗事だけで済むはずがないのはわかりきっているのに、やはりちょっと悲しい。

20120503_002午後からは「写真洗浄」の手伝いをさせてもらった。
作業内容を簡単に書こう。
まず、津波に飲まれてぼろぼろになったアルバムから写真をはがす。
それから、その写真を水で洗ってよく乾燥させる。
あとはそれを一枚一枚スキャナで読み込んで電子化する。

わざわざ電子化するのは、複数の人が同時にPCで閲覧や検索をできるようにするためだ。もちろん、写真の劣化が進んでいるせいもあるだろう。やってることは単純だけど、おそろしく手間暇がかかる仕事だ。

20120503_003俺が受け持ったアルバムは一冊丸ごと「結婚式」の写真だった。
一生の晴れ舞台を写した写真たちは、どれも濡れ汚れてしまっていた。写真のインクが溶け出して判別できなくなっているものが半分近くもある。
幸せそうに笑っている新婚の夫婦や参列者たち。彼らは震災を生き残れたのだろうか。
気仙沼市の死者&行方不明者は1400人以上。写真に写っている誰かが亡くなっていても不思議ではない。

20120503_004それでも、その安否を知らないままなのは、俺にとっては救いだった。写真を待ち望んでいる人がいる、喜んでくれる人がいる。そう思わなきゃ、こんな作業、悲しすぎるじゃないか。crying

この日の作業場所は、小学校の旧校舎だったのだけど、作業中にも多くの人が訪れ写真を見に来ていた。そこには写真だけでなく、寄せ書きの色紙や賞状、記念品や絵画など、思い出の品が所狭しと納められていた。
震災から一年以上経っているのに、いまだに思い出を発掘し続ける人、思い出を探し求め続ける人、その「日常」が続いていることが衝撃だった。

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2012/05/02

陸前高田に陽が落ちる

夕方になって雨が降り出した。
釜石から陸前高田へ移動した。

20120502_006陸前高田も前回ボランティアをしたところだったので、活動をしていたところが今はどんな風になっているのか、見ておきたかった。
けれども、実際に行ってみると、その場所がどこだかさっぱりわからなかった。瓦礫はすでにほとんどが撤去され、荒れ地の平原のようになっていて、目に付くのはところどころに建っている廃墟ばかり。どこに行っても同じような景色で目印がないので、記憶が曖昧になっていた。

20120502_007地図を見ながら、「確かこのへんに道の駅があるはずなんだけど?」ときょろきょろと周りを見回していたら、目の前の廃墟がそれだったり。shock

そうこうしているうちに辺りが暗くなり始めた。釜石でちょっと時間を使いすぎてしまったようだ。雨も止みそうにないし、ここは大人しく今日宿泊する気仙沼のホテルへ向かうことにした。
今回の東北旅行は、GWの直前になって決めたので、宿泊の予約を取れたのは今日のところだけ。残りは車中泊になる。ゆっくりと休んで明日に備えよう。sleepy

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釜石の観音様

遠野からさらに東に進んだ。
海が近くなると突然、民家の壊れ具合がひどくなり、被災地という色が濃くなってきた。

釜石は去年のボランティアツアーでも訪れた場所だ。
あれから半年も経っているのに、壊れたまま放置されている建物もまだまだ多い。

20120502_003海の近くに建っていた釜石警察署もそのひとつ。
鉄筋4階建ての建物は外観こそ立派に建っているものの、中は滅茶苦茶に破壊されていて、完全に放棄されていた。現在はどこかに移転してしまっているのだろうけど、治安の要であった元警察署の跡が、解体もされずにそのまま廃墟になっているのが、シュールすぎる。shock

20120502_004隣に併設されていた運転免許センターも、これまたひどい有様で、ガラス窓が全部ぶち破れたままになっている。ブラインドの切れ端だけが風にあおられて、絶えずカタカタ音を立てているのが、侘びしさを誘う。

海の方に目をやると、でっかい観音像が目に入った。
あれは何だ?と地図を確認したら、「釜石観音」だそうだ。この観音像は高さ48.5mもある巨大なもので、小高い丘の上に立っていたので津波の被害も免れたようだ。

20120502_005一番上の展望台に上ると、素晴らしい絶景が拝めたのだけど、もし震災当日にこの展望台から津波が押し寄せてくるのを見た人がいたとしたら、それはそれは悪夢のような光景だっただろう。
観音様は見守るだけで、人命を救ってはくれないのが悲しいところ。weep

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遠野でひっつむ

フェリーで八戸に上陸し、いざ東北へ。
空はどんよりと曇っていた。
これから被災地へ向かうこともあり、気持ちが沈んでいく。

20120502_001その沈んだ心を慰めてくれたのは、桜だ。cherryblossom
あちこちで桜並木が花を咲かせていて、目を楽しませてくれる。ああ、やっぱり日本の花と言えば桜だな。

東北道を花巻まで南下したあと、沿岸部に出るべく、東に進む。

立ち寄ったのは、民話のふるさととして名高い、遠野だ。
この町は震災の影響が少なかった割に、どの被災地へ行くのにもアクセスがよいので、震災直後からボランティアの拠点として機能してきた。
交通のインフラが回復した今では重要度は低くなったけれど、記憶にとどめておきたい場所だ。

20120502_002ちょうどお昼になったので、道の駅で「ひっつみ定食」を頼んだ。
「あの~、ひっつみって何ですか?」
すいとんみたいなものです
「ああ・・・」
えーっと、すいとんって何だっけ?粉ものっぽい何かが頭の中に浮かぶが、よくわからん。でも、ここでまた訊くのもなぁ。

出てきた料理は、想像と大きくは外れていなかったが。
はっきり言って、、、
ご飯とは合わねぇcrying

だってひっつみって、平べったい団子のようなものなんだもの。団子をおかずにご飯は食べにくい。おまけに、とっても淡泊な味だし。
確かに郷土料理っぽい感じだけど、せめて単品で頼むんだったな。

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2012/05/01

白銀のお姫様

いよいよ東北へ出発だ。

20120501_03苫小牧から八戸を結ぶ船は、シルバープリンセスという。今年の4月に就航したばかりの新型船だ。

今までフェリーにはさんざん乗ってきたけど、車込みで乗るのはずいぶん久しぶり。考えてみれば、宇都宮出張の時に車を持ち込んで以来かもしれない。

20120501_01乗ってみてびっくりした。俺の知っている船とは全然違う。いろんな面で洗練されているような気がする。
まず二等船室だというのに全席指定。しかも専用のコインロッカーが併設されている。従来の二等船室の最大のデメリットはセキュリティの甘さだったと思うから、これは画期的なことだ。shine

内装はプリンセスという名前のせいか、白とピンクを基調としたデザインになっている。テーブルや椅子も凝った作りになっていて、女性客の受けが良さそうだ。

20120501_02さすがは新型!と感心していたのだけど、実際に乗ってみると少々期待はずれ。down
まず二等船室の席が狭い。満席というわけでもないのに隣り合った場所に配置されるので、プライベート空間がかなり制限されて息苦しい。まるでカプセルホテルの壁を全部取り払ったかのような感じなので居心地が悪いのだ。
後は、大浴場が狭いし使いにくい。入浴できる時間が1時間半しかないのに、洗い場がたったの6つしかない。食事も映画も提供されない船旅だから、唯一の楽しみと言ったら風呂しかないのにこれでは興ざめだろう。

もっとも、特等や一等の船室は快適なのかもしれないけど。
そういうセレブな旅が一度はしてみたい・・・smile

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「東北を忘れない」ための一歩

GWの東北旅行に備えて、ホームセンターへ買い出しに行った。
ホームセンターは、レジャー用品や園芸用品を買いに来た客で賑わっていた。

一方、俺の買ったものと言えば・・・

・ヘルメット
・軍手
・革手袋
・防塵マスク用フィルタ
・鋼板入りインソール

・・・うーん、物々しすぎるぜ。coldsweats02

これらは、東北で震災復興ボランティアに参加するための準備だ。
去年の10月にボランティアツアーで行ったときに、道具はあらかた揃えてしまってはいたのだけど、軍手や革手袋は使い捨てに近いので、補充が必要だった。

ボランティアをするのは6日間中の2日間だけ。しかも天気予報では雨の予報なので、天候によっては中止になるかもしれないが、まあそのときは大人しく観光することにしよう。

被災地は今頃どんな具合だろうか。瓦礫の山のままなのは間違いないだろうけど、去年と違って作業の環境は幾分改善されているだろう。
とにかく自分の目で見てくることが、何よりの目的だ。じっくりと見てこようじゃないか。search

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