2018/06/14

立つ鳥跡を濁さず

先日のこと。
うちのアパートの大家さんから相談を持ちかけられた。
このアパートもずいぶん古くなり、老朽化が激しくなってきた。
そこで、近々アパートをたたんでしまおうと考えている、とのこと。

そんな予感はしていたので、意外な話ではなかった。
数年前から空き部屋があっても、新しい入居者を入れるつもりがないと言っていたし、大家さんもいい歳だ。(俺が入居した時点で70歳ぐらいだったから、いまは90歳ぐらいだろうか?)最近ではどうやら体調を崩しているらしく、あまり外で見かけなくなった。
アパートの1階はすでにリフォームして、大家さんの娘一家が住んでいる。きっと2階もすべて取り壊して、ゆくゆくは一軒家にリフォームするつもりなんだろう。
そんなわけで、年内をめどに転居先を探して欲しいと言われた。

俺としても、このぼろいアパートに未練があるわけじゃないが、いざ引っ越しをするとなると、なかなか面倒だ。
まずは散らかり放題の部屋を片付けることから始めなくては。

次のねぐらはどこにしようかな?


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2018/05/23

復興の旅 宮城編 まとめ 復興の先にあるもの

東北の旅から帰ってきて、はや半月。

旅行先では、肝心のWi-Fiカードリーダを忘れていったので、デジカメで撮った写真をブログに載せられなかったし、帰ってきてからは倒れそうになるほど(比喩ではない)仕事が忙しかったため、なかなか編集できないままになっていた。
ようやく仕事も一段落したので、写真を整理して貼り直した。

その4でも取り上げた大川小学校だが、先日、亡くなった児童の遺族達が学校側の対応を不服として、石巻市を訴えた裁判のニュースがTVで流れていた。あれから7年経っても、震災の傷は癒えていない。

被災地ではいまでも大規模な土木工事が続いており、少なくとも向こう10年先までは重機の姿が消えることはないだろう。膨大な盛り土と延々と続く防潮堤がその主たる原因で、それらをつくる作業がいつまでも続き、本当の街作りは立ち後れてしまっている。
結局なんだかんだ言って、土木屋だけが儲かる構図になっている。

津波の経験を後世に生かすため、災害に強い町を作らなければいけない。それはわかる。
でも、被災地の大部分は田舎であり、高齢者が住民の多くを占めている。
次の津波が来るのはいつだ?百年後?それとも数百年後?
その頃には、俺たちは誰も生きておらず、日本の少子高齢化が止まらなければ、おそらく人口も半減している。
そのとき、この立派な高台や防潮堤に守られるはずの人は誰なのか?
人口が減り借金ばかり抱えた未来の日本人にとっては、これらの巨大な人工物は負の遺産になるだけじゃないのか?

百年も経てば科学や文化だって、様変わりしているだろう。
津波の恐れがある地域では、水陸両用のキャンピングカーを住居にするのが普通になるかもしれない。(実際にアメリカでは災害時にはボートになる家が売られているらしい)
地下に避難するためのシェルターが作られるかもしれない。
いや、ひょっとしたら、宇宙に待避するなんて日も来るかもしれない。

いくら安全でも、堤防に囲まれた町では魅力がない。魅力がなければ新しい住人はやってこない。
そろそろ、震災からの復興ではなく、古い街作りの考え方からの脱却が求められている段階に移っているんじゃないだろうか。
大胆な決断が出来るのは今しかないのだ。

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2018/05/14

白い闇の中で

朝寝坊して、駅まで走り、なんとか地下鉄に飛び乗った。
吊革につかまって、息を整える。胃がむかむかして気分が悪い。

すると、突然、意識がすぅーっと遠のくのを感じた。
うぉっ、こりゃなんだ!?
辛うじて立ったままで、辛うじてつり革は握ったままだが、指先以外の感覚がまるでない。

こりゃやばい。
ベンチに座ってしばらく休んだ方が良さそうだ。
降りる駅まで早く着かないだろうか。

あと二駅。
意識はさらに遠ざかり、何も見えなくなってしまった。
目を開いているはずなのに、何も見えないのだ。
手はつり革を握っているようだが、ちゃんと立っているのかも自信がない。
耳だけはなぜかちゃんと聞こえる。

あと一駅。
まだ何も見えない。
こりゃやばい。
このまま駅についても、車両から降りられそうにない。
「急に目が見えなくなった」なって言っても、信じてもらえるだろうか。

見えろ。見えろ。見えろ~っ!!
心の中で精一杯念じたら、視界がじんわりと色がつき始めた。
おおっ。
ほどなく駅に到着。よろけながら、ホームに降りた。
次第に感覚が戻ってきた。なんとか助かったようだ。
気が付いたら、体中から嫌な汗が噴き出して、汗びっしょりだった。

今から思えば、
おそらく低血糖に陥っていたのだろう。
低血糖の症状である、「吐き気」「目のかすみ」「意識が遠のく」に該当しているし、
昨日は遅い時間に昼食を取ったため、夕食はシュークリームを1つ食べただけだった。
起き抜けに急激な運動をしたので、血糖値が急激に下がったのだろう。

なんだか臨死体験をした気分。
「死ぬ寸前まで耳は聞こえている」と聞くが、きっとあれは本当なんだろう。

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2018/05/04

復興の旅 宮城編 その6 止まない雨はない

朝起きると、雨はまだ止んでいなかった。
喉はまだ痛むが、とりあえず行動に支障はない。

まず石巻周辺の小学校跡や駅舎跡などの震災遺構を見て回った。雨の中で佇む遺構は、どれもより重苦しい雰囲気を漂わせていた。

20180504_001奥松島までやって来たが、雨は止まない。
ここには、松島の四大景観のひとつ、大高森があるのだが、この天候では良い眺望は望めそうにない。
とは言え、遊覧船もこの雨の中では、ぱっとしない。
迷ったときは・・お金のかからないほうへ。
大高森は100mほどの丘陵地で、ちょっとしたハイキングコースだ。山頂にはほどなく着いたが、やはり景色は今ひとつ。黒々とした雨雲が覆い被さり、青空はほんのわずかしか見えない。おまけに小降りだった雨が勢いをまし、沈鬱な空気が立ちこめていた。

20180504_002早々に切り上げて、昼食を取った。
すると、食べているうちに、みるみる雨が止み、まぶしい陽射しが射し始めた。
これは千載一遇のチャンス!
すぐさま遊覧船乗り場に向かった。

20180504_003遊覧船に乗るなら晴れた日に限る。空と海の輝きがまるで違う。
奥松島の遊覧船は、日本三大渓のひとつ、嵯峨渓を含むコースだ。初めて乗ったが、確かに風光明媚なところだった。船長さんの軽妙なトークも面白かった。
震災前は遊覧船の乗り場はもっと岬よりにあったらしいが、津波で乗り場が流されてしまったため、奥まった今の場所に移されたそうだ。こちらとしては、より長く楽しめるようになったので、お得感がある。

なんだかんだで、最後に晴れてくれて良かった。
明日は津軽海峡あたりで、朝日を拝めるだろうか。

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2018/05/03

復興の旅 宮城編 その5 雨の日は漫画を

昨晩から降り出した雨は、まだ降り続いていた。
予定では、今日はダイビングをするつもりだったのだが、海況が荒れ模様なため、中止になってしまった。今回の旅のメインイベントのはずだった、ボランティア活動とダイビングがどちらもポシャってしまうとは。
残念だけど、天気には勝てない。

そう言えば、朝から頭と喉が痛い。顔がやたら火照るのは日焼けのせいだと思っていたけど、ひょっとして発熱してる?旅行の直前に治ったと思っていた風邪がぶり返したのか?
寝込むほど具合が悪いわけじゃないが、無理はしないほうがいい。ダイビングが中止になったのはむしろ良かったかもしれない。

20180503_001雨はしばらく止む気配がないので、屋内施設を中心にまわることにした。
最初はサン・ファン館。これは伊達政宗が欧州と通商を求めて使節団を送ったときの帆船を再現して展示している博物館だ。大航海時代のゲームをやり込んだ俺的には、ガレオン船というだけで、興奮する。
確か以前石巻に来たときは、ここは震災の影響で休業中だったはず。震災では船は津波に耐えたものの、屋内施設はかなりの被害を受けたらしい。現在も船の内部は見学出来ないのが残念。

20180503_002午後からは石ノ森萬画館を観ることにした。
ここは石ノ森章太郎の漫画やアニメ、特撮などをテーマとした博物館。訪れるのは二回目だ。今回は時間的余裕があったので、じっくりと観ることが出来た。
石ノ森章太郎の代表作と言えば、仮面ライダーやサイボーグ009だろう。歴代、ライダーの仮面が展示されていたけど、平成ライダーはほとんどわからない。
いま放送しているのって何だっけ?ビルド?

20180503_003「わたせせいぞう」の企画展もやっていた。このひとって、イラストレーターの印象が強かったんだけど、漫画もたくさん書いているんだな。漫画の背景の描き込みが尋常じゃない。情報量が多いのに五月蠅く感じられないのは、淡い色使いのせいだろうか。

なんだかんだで疲れた。
今日は早めに寝て、身体を休めよう。

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2018/05/02

復興の旅 宮城編 その4 ドラマの登場人物にはなれない

ずっと暑い日が続いていたのに、今日は朝から曇り空で、すこし肌寒い。
南三陸町のめぼしい名所は大体観たので、女川町へ移動しよう。

20180502_001途中の道で、ひどく壊れた建物を見つけた。何だろうと立ち寄ってみたら、小学校の跡地だった。これも震災遺構の一つらしい。
小学校の建物がまるごと残っていて、建屋の中に入ることは出来ないものの、ちかくまで近寄ることは出来た。
めちゃくちゃに壊れてはいるが、壊れてなお、震災前はさぞかし立派で綺麗だったと思わせる、モダンで優美なデザインだった。こんな大規模で保存状態も良い遺構が、なぜ震災ガイドにも載っていないんだろう。

20180502_002震災の記録によれば、当時の全校児童の7割が死亡または行方不明で、教員のほとんどが亡くなったそうだ。しかも、避難の開始に手間取ったうえ、山ではなく川の方に逃げようした。このことで遺族からは「人災ではないか」と非難があがっていたという。
確かにいろいろ問題はあったのだろう。でも、未曾有の災害が起きたときに、いつもベストな対応を求めるのは酷じゃないか。それらの負い目のせいで、この遺構が注目されていないのなら、どうやってこの先経験を生かせるのだろう。

20180502_003女川町の駅前に出来た商店街で昼食を取ったあと、牡鹿半島の先端を目指した。
ここは6年前に来たときは、道の状態が非常に悪くて、アスファルトがひび割れたり段差があったりして、途中で断念して引き返してしまった。いまではすっかり修復され、すいすいと進めた。
しかし、岬の先端にあったレストハウスは全壊したままで、営業はしていなかった。それでも、浜辺まで遊歩道を歩いて行けるようだ。

20180502_004浜辺に辿り着いたら、広い砂浜が広がっていた。
そして気付いた。砂浜に花束がひとつ置かれている。周りには俺以外誰もいない。
俺と海と砂浜と、花束。まるで映画の1シーンのようだ。
でも悲しいかな、俺はドラマの登場人物にはなれず、ただの無関係な通りすがりのおっさんに過ぎなかった。
それでも、その光景を見ていると、なぜか無性に悲しくなって、ずっと浜に佇んでいた。

やはり被災地を巡る度は、精神的に消耗する。
そろそろ明るい話題が聞きたい。

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